コラージュで思い巡らそう!

メンタルヘルスのためのコラージュ。モゴローと一緒に楽しみましょう。

一緒にお茶を

 5月に「母の日のコラージュ」を掲載しましたが、実は、その2日前の未明に母は家の中で転倒して怪我をしていたのです。怪我自体は治癒したのですが、その入院をきっかけに身体面・認知面が急激に低下しました。リハビリ病院を含めて3ヶ月近い入院生活を終えて先月家に帰ってきました。そして、私は今年に入ってから神戸改革派神学校で「牧会ケア」という授業の聴講に行っています。そんな中でのコラージュです。
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 母の介護生活が始まって一月半。本人も家族もその生活に少し慣れてきて、母は認知面が低下したため、会話はかなりちぐはぐなのですが、それはそれでお互い笑うことも増えてきました。何言ってるんだかわかんないけどわかる(笑)。合間にえらく高度な理解や洞察が入ってくるのが面白い。そこまで考えられるのに、なんでこれがわかんないの~って繰り返しな感じ。
 と、母とのことを思い浮かべて作り始めたコラージュですが、今日、ちょうど神学校の「牧会ケア」聴講の日で、蔡香さんの『良い聴き手になるために』から学んだことも被ってきました。7章の「教会におけるケアの働き」、教会だからできるケアがあるのと同時に教会だから難しく配慮が必要なところがある。そうだなぁと思いました。
 で、教会は「神の家族」と言われるけれど、その特徴のひとつとして「家族のケアは相互的」があり、これは専門的ケアの関係には見られないというところ。私も子どもを育てて、赤ちゃんの時なんて完全にお世話しまくるわけですが、子どもからもらう喜びも大きかった。大人になった今は良い話し相手です。家族は、お互い弱ったり元気だったり、それが交代だったり重なったりしつつ、その時の状況に応じて、細かく確認を入れることもあれば、適当にやることも多く、でも、それでそれぞれの役割が上手く機能しているなぁと思う。「相互ケア」は教会の特色であり、素晴らしいところだが限度もある。どこまでケアできるのか、できているのかの判断は「相互性があるかないか」。なるほど~。相互性がないなら、なくなったなら、教会の領域ではなく専門的ケアのそれになる。

 コラージュは「一対一の二人」の写真が目に留って貼りました。一番好きな切抜きはお喋りしながら茶摘みをしている写真です。他愛ないお喋りの中でさりげなく相手を気遣い、それでいて楽しく、作業も捗る。美味しいお茶を一緒に飲もうね。