コラージュで思い巡らそう!

メンタルヘルスのためのコラージュ。モゴローと一緒に楽しみましょう。

「母の日」のコラージュ

 少し前、母の手の爪を切ってあげた。ちょっと伸びてるなぁと時々思うことはあったが、自分で切っているとばかり思っていた。手の振戦で難しくなっていたようで、訪問診療の先生に切ってもらっていると聞いてびっくり。上手だね、と褒めてくれた。いや、爪切りくらいはできるよ-。近くに住む両親に週に2回ほど夕食のおかずを届けている。2日分(品数ではなく量…笑)作ります。月1くらいでシチューを持って行くが、毎回「今までで今日のが一番美味しかった」と言う。「毎回言ってるやん」と返すと「ほんまにそうやから」と本当のように言う。毎回更新されるわけだ。
 小学校2年の時、参観日に来るお母さんたちを見て、「うちのお母さんはクラスで2番目にきれいだ」と思った。父にそう言ったら困ったような顔をした。母の体は細く、肌は青白かった。教会学校スタッフになってから教会学校でお泊まり会をした時、幼い女の子を寝かしつけていたら、眠りにつく前に「私のお母さんはきれい」とつぶやくように言った。お母さんのことを思い出したのだろう。「そうだね、きれいだね」と私も言う。ああ、お母さんってきれいだよね、そう思う。
 今日の午後、『幼児洗礼と信仰告白』についての学び会があった。来月、うちの教会で喜ばしいこの2つのことが成される予定なのだ。私は両親ともにクリスチャンで赤ちゃんのときに幼児洗礼を受けた。中学1年で信仰告白をしたが、母が強力までに導いたと思う。小6の時、ビリー・グラハム大会に連れて行かれた。父はこの大会参加へは反対したそうだ。母も、当時はまだよくわかっていなかったと思う。私に残っているのはその中身より、病気であまり外出できない母があの球場に私を連れて行ったこと。雨だったことを覚えている。
 劇的回心を経験したことのない私にはずっと後ろめたさのようなものがあり、成人洗礼を受ける人がいつも羨ましかった。本当は私の方が羨まれるほどなのだと今日は素直に思う。
 ここのところ、年老いた母には色んなことが起るようになってきた。人が老いて死ぬのは本当に大変なことだ。影が長いのは朝なのか夕なのか。私には夕に見える。一人の足跡。人間は一人だ。影は消えても、足跡は残るのだろうか。いつか足跡も消えるだろう。全部消えて、残るものは何だろう。