
『彼らが喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物があるか」と言われた。そこで、焼いた魚を一切れ差し出すと、イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた。(ルカによる福音書24:41-43)』
私の通う教会は連続講解説教なのに、今日のメッセージはちょうど復活されたイエスさまが弟子たちに現れた箇所だった。ここ、好きなところやん。イエスさまが私の隣りで焼き魚を食べている。ししゃもか秋刀魚のイメージ。でも一匹じゃなくて一切れと書いてあるので切り身だったのか。とりたてだったのか、干物か、それとも塩漬けだったのか。とにかく、私の隣でイエスさまがししゃもを一緒に食べていると想像すると胸がいっぱいなってくる。(一緒に食べた…とは書いてないのですが、そうだといいなぁというイメージ)。イエスさまは私たちと同じように体があってお腹が空いて、焼きたての魚を美味しいと感じる。でも同時に、そのイエスさまは私たちとは全く違って、全く罪がないのに、私たちのために十字架にかかって下さった。そして、いまこうして焼き魚を食べているのは、死に勝利して復活したイエスさまなのだ。そのイエスさまが私の隣りに来て下さっている。
下の2人組の女性の2枚は、その前の箇所の2人の弟子&魚を食べる前に弟子たちにイエス様が現れてくださったイメージでしょうか。弟子たちは談笑していたわけではないのですが、とにかく二人やら何人かやらで話していたら、イエスさまが現れて真ん中に立って下さった。
今日のメッセージで心に留まったのは「喜びのあまり信じられず(41節)」というところ。喜びの感情はとても良いものに感じられるが、カルヴァンは「良い感情であっても不信の原因になる。感情を疑え。」と言ったそうです。喜び、心の高まり、それらは素晴らしいものではあるけれど、私たちはそれらで主を信じるのではない。