短歌は個人の中の態度で起こる普遍性と個別性というイメージでしょうか。って、いまどき、これはないだろうと思うが笑、事柄が変わってなら似たようなことは今もあるのだと思う。
聖書を読むときも一般的?伝統的?理論的?釈義に基づいて読み、そしてそのように受けとめるときと、前後の文脈や解釈とは関係なく、今のこの自分の、この出来事のためだけに言われているように思えて、実際、それに示されて(と思って)行動するときがある。どっちが正しいとか、どっちかだけということではない。それは裏返しのようでもある。どっちなのかを自分がわかりながら受けとめることが大事なんだろう。裏表は一体なのだから。
芸術は、個別性と普遍性の統合が、結果的にそうなりました、というのではなく、イメージで真実を伝えようとするところで、そのもの自体は苦しみや醜さが表現されていたとしても、最終的には「美しさ」に到達している世界なのかなと思う。そう、最近、良いか悪いか、とは別に、楽しいか楽しくないか、と言うより、美しいか美しくないかで色んなことを見分けようとするところが私にはある。
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藤掛明先生から学んで、私の心に留まっている言葉を「藤掛先生語録」としてまとめ、1ヵ月間の日めくりカレンダーにしました。コラージュや短歌や文章は私の連想に過ぎませんが楽しんでいただけるとうれしいです。
※写真は、AC素材とPixabay素材から使用しています。